第2 章 表面反応の観察に向けた手法
2.1 序
本研究では表面・界面の構造,ならびに表面・界面で生じる化学反応を解析するのが目的である.具体的には観察の対象を大別すれば
• 形態(表面凹凸など),
• 元素(不純物など),
• 状態(化学結合状態など),
• 欠陥(状態のうちマイナーであるが影響の大きいもの),
があげられる.一般的には形態観察には顕微鏡を使い,元素分析には質量分析を使い,状態分析に分光法が使われる.ただし,原子吸光などでは分光手段が元素を分析できるのはいうまでもない.また,局所的な分析には顕微鏡手法を組み合わせる.
また,最終目的として製造工程中のウェハ表面をインラインでモニタする手法を構築したいと考えている.そのため,製造工程中のウェハを非破壊・非接触で観察し,評価できる手法が望ましい.このことから,光=電磁波,フォトンを用いた分光法を最大限に利用したい.これらの方針の下で,本研究では物質の分光特性から物質構造を議論したり,その特性変化から物質の状態変化(化学反応)を調べることとした.
物質分子の状態は電子,振動,並進,回転,電子スピン,核スピンにわけることができる.それぞれの運動エネルギーの大きさは異なっており,分光手法によって分光波長や波数分解能を選ぶことでそれぞれの状態を観察できる.電子のエネルギーは分子によって様々であるが,およそ10,000~50,000cm−1 の領域になる.これは電磁波では可視光あるいは紫外光の領域である.この領域の波長の光を分子がどのくらい吸収するか調べることによって,分子の電子のエネルギー準位を知ることができる.
原子核は電子に比べ重いので,その運動エネルギーは小さい.振動のエネルギーは100~4,000cm−1 の領域にあり赤外光の領域である.なので,分子の振動エネルギーは赤外吸収によって知ることができる.回転のエネルギーは,0.01~60cm−1 くらいであり,マイクロ波の領域になる.赤外吸収においてもこの回転エネルギーによるスペクトル線の分裂が見られる.スピンのエネルギーは,磁場によって変化する.電子スピン共鳴や核磁気共鳴という方法で分析されている.
本研究では,主に赤外分光法と電子スピン共鳴法を用いている.いわば,電磁波と物質の相互作用を取り扱い,その応答を分光スペクトルの形で観察し,物質の状態を明らかにする.
2.2 本章の構成
はじめに,プラズマエッチングの表面化学反応を調べたいのであるから,分子結合とその切断によって生じる不対電子を観察したい.この目的で赤外分光法や電子スピン共鳴法といった電磁波を利用する手法を用いている.電磁場を作用と考えた時に,化学結合も不対電子の応答も,どちらも数学的には線形微分方程式で記述される線形応答として取り扱える.例えば,物質は正の電荷をもつ原子核と負の電荷もつ電子から構成されていることから分極が生じる.電磁波のつくる電場の大きさが十分小さければ,物質の分極は電場に比例する.また,このような応答を電磁波の波長ごとに観測することを分光という.この線形応答の立場では,この現象を波長依存をもつ応答関数の形で表すことができる.このように外力に比例した応答を示す現象は全て同様に取り扱い,化学結合に対しては誘電率,不対電子には磁気感受率を比例定数とする線形応答の系とみなすことができる.この現象論の立場から,化学結合を観察できる赤外スペクトルでは薄膜が積層した構造であっても,各層の状態,応答を解析できる点について説明する.ここでは,幾何光学に基づいたスペクトル計算手法と,物性を特徴づける誘電関数について述べている.赤外吸収の理論的なピーク形状はローレンツ型になるが,特にアモルファス物質では構造分布の統計的なゆらぎを反映したピーク・ブロードニングが見られる.この分布形状はガウス型に近いが,実際の観測結果では波数に対して非対称な分布幅をもつガウス型になっている.そこで,非対称ガウス形状をもった誘電関数モデルを開発してきた.同様に,不対電子を観察できる電子スピン共鳴スペクトルについて説明する.この電子スピン共鳴をよく理解するには,量子力学に立脚しなければならない.しかしながら,このスピン(磁気)共鳴は古典的に歳差運動と捉えて理解することができる.これはブロッホにより提出され,現象論的な線形応答として磁気共鳴とその緩和を説明できる.
これら現象論的に系の線形応答を取り扱う時,マクロな観測量は量子力学で記述されるミクロな量を元にして記述することができる.これには統計熱力学が示す統計平均の考えを必要とする.このことは,物質の状態として量子力学を元にした演繹的な手法と,観測量を現象論の立場から帰納的な手法で表した両方を結び付けられることを意味している.
本章後半では,本研究で対象とするシリコン酸化膜(SiO2),フッ素化アモルファスカーボン(a-C:F*1)膜を例として,赤外誘電関数スペクトル,電子スピン共鳴法に関する背景をまとめてある.最後に,赤外分光法によるエッチング反応のその場観察を行う上で,これまでにおこなわれた研究について調べた結果をまとめてある.この背景を元に,エッチング反応観察に最適な装置を開発してきたので説明する.
2.3 物質の状態の記述
物質を構成する原子は電子と原子核からなる.このような原子や分子のレベルで物質の状態を記述するには量子力学が必要である[1–3]. ボルン・オッペンハイマー近似の元で,電子と原子核の運動を分離して考え,電子の状態が主量子数,方位量子数,磁気量子数で決められることを説明する.続いて,原子核の運動について,振動と回転について古典的な力学の記述を含めて説明する.
2.3.1 量子力学
表面に光を当てると電子が飛び出す現象を,1905 年にアインシュタインは光は粒子であるとの光量子説で説明し,これを光子と名付けた.一つの光子のエネルギーはE = hνで表される.ここで,h はプランク定数6.626 × 10−34J s,ν は光の振動数で光速c =3 × 108m/s を波長λ で除したc/λ である.この現象を光電効果と呼ぶ.この時,飛び出す電子の運動エネルギーEkin はEkin = hν −Wとなる.ここで,W は表面物質の仕事関数である.後述する光電子分光法は,この光電効果に深く関わる.
ハイゼンベルクは観測するという行為を理論的に考え,位置の不確かさΔx と運動量の不確かさΔpx の積が,Δx · Δpx ≥ ¯h2 の不等号を満たすとする不確定性原理を提唱した.ここで,¯h = h/(2π) である.これは,観測するという行為が被観測対象の状態を変化させてしまうことを意味している.このことから,粒子の運動は正確に記述することができない.そこで,量子力学では,物理量の確率期待値を演算子を用いて求めることとなる.
物理量の期待値E を求めることは,演算子ˆH を波動関数Ψ に作用させることで,ˆHΨ = EΨという固有値方程式を解くことに対応する.実験で観測できる物理量は系のエネルギーである.この系のエネルギーを求める演算子をハミルトニアン演算子ˆH として,この方程式をシュレーティンガー方程式という.この方程式を解くことで,系の状態,いわばエネルギー固有値を求めることができる.
物質を構成する原子は,原子核と電子からなっている.また,原子が結合して分子ができる.このような原子,分子からなる体系の状態を求めるにはハミルトニアンを用意してシュレーティンガー方程式を解けばよい.しかしながら,三つ以上の原子から構成される場合には多体問題となって方程式を解くことができない.このため,近似を導入する.電子の質量は原子核に比べ遥かに小さいため,電子が運動している時間に原子核は静止していると考える.この近似より,電子と原子核を分けてよく,それぞれの運動と波動関数を
別々に取り扱うこととする.この近似をボルン・オッペンハイマー近似という.
はじめに原子核に束縛された電子の運動を考える.例えば,1電子原子のポテンシャルは(式)となる.ここで,e は電荷素量,z は原子番号である.このような水素原子のような場合のシュレーティンガー方程式は極座標表示,変数分離法を使って解くことが知られており,動径方向に関する部分と角度に関する部分とに変数分離される.その結果,波動関数はΨ = Rnl(r) · Θlm(θ) · Φm(φ)と書ける.ここで,n を主量子数,l を方位量子数,m を磁気量子数という.n は正の整数であり,n = 1, 2, 3, . . . に対応してK 殻,L 殻,M 殻,. . . と名付けられている.各々のn に対してl は0, 1, 2, . . . , (n − 1) の値しかとることができず,l = 0, 1, 2, . . . に対応して,s 軌道,p 軌道,d 軌道,f 軌道と名付けられている.さらに各々のl に対してmはl, l−1, l−2, . . . ,−l あるいは0,±1,±2, . . . ,±l の(2l+1) 個の値をとる.このことから,s 軌道は1つ,p 軌道は3つ,d 軌道は5つとなる.主量子数n として,動径方向についてシュレーティンガー方程式を解いて得られるエネルギー固有値は(式)で与えられる.ここで,Ry はリュドベリ定数でRy (式)であり,13.607 eV である.このようにn の2乗に逆比例する.したがって,電子状態の遷移をともなったスペクトル線は,状態f と状態i としてnf とni の内殻準位の差,(式)のエネルギー(波長)で観察される.内殻電子ではX 線領域,レーザー光の吸収などの励起状態が関与する蛍光では紫外線領域などに観察され,分光対象となる.
2.3.2 角運動量~回転
原子核の運動を並進,振動,回転にわけられる.さらに電子と核の自転運動に対応するスピンがそれぞれ存在して,全体の波動関数はそれらの積で表される.それぞれの波動関数に対してエネルギーを定めることができ,全エネルギーもそれらの和で与えられる.粒子が原点から距離r のところを周回している時,この運動は角運動量によって表される.角運動量は,この回転に垂直方向をもつベクトルで,その大きさは半径r と粒子の質量m と速度v で表される.古典的には,粒子の位置ベクトルr と運動量p として,角運動量A はA = r × p = r × mvで定義される[4]. つまり,角運動量は向きと大きさをもっている.この角運動量の時間部分をモーメントもしくはトルクという.
ブロッホの方程式
磁場B 中で共鳴吸収が起こる現象は経験的に1946 年に提出されたブロッホの方程式で説明できる.スピンの磁化M により(式)となる.ここで,γ は磁気回転比*2である.磁場方向をz にとり,スピンの緩和を取り入れると(式)となる.ここで,T1 はスピンー格子緩和時間,T2 はスピンースピン緩和時間と呼ぶ.式2.1 と式2.2 をあわせて(式)となる.このようにスピンによる磁気共鳴を,スピン緩和を導入して共鳴吸収がおこるとの現象論で説明した.
量子力学では,角運動量の2乗が(式)という方程式で与えられ,a(a+1)¯h2 という値をとる.このa は角運動量の大きさを定める量子数で,整数または半整数である.z 方向の成分は(式)となり,ma は方向を表す量子数で,a~−a までの整数で,(2a+ 1) 個の値をもつ.これらは粒子の角運動の大きさと方向を表している.例えば,a = 2 では,(式)となり,2¯h, ¯h, 0,−¯h,−2¯h. の5通りがある.
磁気モーメントと角運動量の間の関係は,γ は磁気回転比で与えられる.電子では,γeとして,(式)である.ここで,μB はボーア磁子であり(式)となり,9.2741 × 10−24 [J/T] である.量子力学からスピンはこの単位で考えることが便利となることを意味している.
ゼ-マン分裂
ここで,電子スピン角運動量s は1/2 の大きさをもっている.方向を表す量子数ms として±1/2 である.これらを↑ と↓ などと対応させる.パウリの排他則によって一つの軌道にはスピンの向きの異なる電子が許されるので,通常この二つが対をなしている.外部磁場B がなければ同じエネルギーであるが,外部磁場B の中で↑ と↓ のスピンは,磁場平行と反平行でエネルギー差をもつ.量子力学の要請から磁気モーメントは2J + 1に規定されるので,このエネルギーはU = (式) となり,J は,J, J−1, . . . , 0, . . . ,−J
をとりうる.このように磁場起因のエネルギー分裂のことをゼ-マン分裂と呼ぶ.遷移はΔJ = 1 が許され,このエネルギーの共鳴条件はω = γB となる.このエネルギー差に共鳴する条件でエネルギーを吸収する現象を磁気共鳴と呼ぶ.電子の場合,電子スピン共鳴(ESR; Electron spin resonance),常磁性共鳴(EPR; Electron paramagnetic resonance),核の場合,核磁気共鳴(NMR; Nuclear Magnetic resonance)
と呼ばれる.
角運動量の合成
スピンのみならず軌道の角運動量L もあるので,しばしば電子スピン角運動量S の二つが合成した全角運動量J = L + S の状態の考えを無視できない.多電子系の固有状態を指定する量子数は全ての電子のもつ軌道とスピンの角運動量をあわせた全角運動量で表されなければならないから軌道角運動量L とスピン角運動量S から量子数を記述する.このJ をL とS を合成した全角運動量の量子数とすると,g 値は(式)と表せる.この式はランデのg 因子と呼ばれる.L = 0,S = 0 の時,g = 1 となる.自由電子ではJ = S = 1/2 であるからg = 2 であるが,相対論補正を加えた正確な値ではge = 2.002316 となる.
2.3.3 調和振動子~振動
原子の中で電子はあたかもバネで繋がれたような振る舞いをする.つまり,電子の変位に比例した束縛力が働いていると考えることができる.このため,あたかも減衰調和振動子の性質と同じであると考えられる.このような調和振動子の運動は,線形微分方程式に従った力学系である.線形微分方程式は(式)といった定数を掛けた微分の和で表される.バネに取り付けられた重りが変位をx として,そのバネの延びに比例した復元力−kx が働くすれば,重りの運動はバネによる力と釣り合い(式)と書き表せる.ここで,m は重りの質量,k はバネ定数である.さらに,外力F(t) によって重りを強制振動させれば(式)となる.外力にF(t) = F0 exp(iωt) といった振動を考えると,方程式の解は(式)となる.このことは,外力とバネの応答の振動数が同じになる,つまりω = ω0 で共鳴することを示している.
一般には摩擦などの重りの動きの速さに比例した抵抗力が働くことを仮定して(式)と書き表せる.この方程式の解は(式)となる.これは,元の振幅F0 にある係数を掛けた形になっている.これは共鳴を表す式
である.
物質に電界が印加されると全ての荷電粒子が平衡位置から変位することで分極が誘起される.自由電子を含まない等方的な物質をでは共鳴を表す式は(式)となり,ここで,F は振動子強度に相等する定数である.γ は減衰因子,ω0 =(式)で固有振動数,外力F は外部電界E(t) と置き換えれば良い.これと全く同じ考えが,電気的なキャパシターでも成り立つ.外部からの電圧V による電荷q の時間変化はインダクタンスL とキャパシタンスC,抵抗R をもつ回路で(式)となる.バネをもった重りとの関係はω0 = (式)とすれば数式上は同じ形である.
再び,単位体積当たり密度n のj モードをもつ双極子がつくる全分極P を考える.これは,各モードの寄与を足しあわせることで,P =(式)であり,(式)と与えられる.固体物質中では外部電界E0 から誘起した近傍の分極(反分極電界とLorentz 電界など)の相互作用を取り入れる必要があり,正味の局所電界はE0 = (式)で与えられる.誘電関数εは(式)となることがわかる.ここで,∞ は高波数側の誘電率であり,ωp2 = e2nkF/m となるプラズマ振動数ωp で置き換えた.この誘電関数モデルをローレンツ減衰振動子モデルなどと呼ぶ.これは応答関数である.
Q 値
共鳴振動数ω0 での系に蓄積されるエネルギーE(store) を単位時間当たりに損失するエネルギーE(loss) で除したものをQ 値と定義する.振動のサイクルで定義し直せばQ =(式)となり,Q ≈ ω0Δω で近似される.ここで,Δω は共鳴線の半値全幅(FWHM; Full width half maximum)である.
ESR 線幅
全く同様にESR 吸収も共鳴である.吸収線形がローレンツ型の時,(式)で与えられる.ここで,B0 が共鳴中心磁場,Im が吸収強度,ΔB が吸収の半値幅である.実際の測定では微分型であり(式)となる.一方,ガウス線型では(式)で与えられ,微分型は(式)となる.
2.3.4 物質の光学応答
光が作る電磁波は1864 年に立てられたマックスウェル方程式によって(式)と記述される.ここで,E は電界,H は磁界,D は電束密度,B は磁束密度,J は電流密度,ρ は電荷密度である.
電磁波は物質中の中では(式)の関係をもつ.ここで,0 とμ0 は真空中の誘電率と透磁率, とμ は物質の比誘電率と比透磁率,σ は導電率である.物質が誘電体であれば,ρ は0 であり,外部電磁波によって電気分極P が誘起される.電気分極P は,外部電場が十分弱ければ電界E に比例すると考えられ,外部電場E に誘起される電気分極P は誘電感受率χ によって(式)とする.
以上より,物質中の電磁波の波動関数は(式)非磁性であれば比透磁率はμ = 1 と見なせる.電磁波の進行方向をz にとり,直交するx方向に偏向された電場Ex(式)を考えれば,上式から(式)が得られる.ここで,ν は物質中の光の伝播速度であり,物質中では見かけの光の伝播速度の遅れをその比をとって複素屈折率ˆN として(式)を定義する.複素屈折率の実部を屈折率n,虚部を消衰係数k と呼び,ˆN = n − ik と表
す.k は電磁波の進行に伴う光の吸収を表しており,吸収係数α との間には(式)の関係がある.ここで,λ は光の波長である.また,複素誘電率は(式)と定義される.
2.3.5 線形応答理論
光学吸収や磁気共鳴といった現象で やχ を導入してきた.これらは,外部からの摂動に対して比例した状態変化する応答を取り扱っており,この応答の比例定数に誘電率 や磁気感受率χ を示してきた.線形応答というのは,外部からの刺激を表す量をx とした時に,考えている体系の応答をy と書く.刺激がx = (t) と変動する時の応答y = g(t)として,この刺激と応答の間に重ね合わせの原理が適用できる.時刻t = t0 にδ関数型の刺激が加わったとすると,それに対する体系の応答はy(t) = Φ(t − t0)と書くことができる.このΦ を応答関数といい,因果律の要請から,このΦ はt < t0 で0 でなくてはならない.結果は原因で決定されることを意味している.
次に,様々な刺激があるわけであるが,それらは重ね合わせで表現できる.そこで,一般の刺激はδ関数の性質を使って(式)と書け,その応答も同様にy(t)(式)である.もし刺激としてx(t) = x0eiωtを考えれば,その応答はy(t) = y0ei(ωt)+αとなり,はじめの定義から(式)となることがわかる.これを書き換えればy(t) = ˆχ(ω)x(t)の形で書くことができる.ここで,ˆχ(ω) を複素アドミッタンスという.電気系では交流電圧V と電流I としてI(t) = (式)となり,Z−1(ω) をアドミッタンスという.磁気共鳴では振動磁場M と磁化H としてM(t) = χ(ω)H(t)となる.ここで,χ(ω) は磁気感受率である.
この刺激と応答の関係で,複素アドミッタンスχ(ω) は,応答Φ(t) のフーリエ変換である.つまり,(式)と書ける.Φ が実数空間で定義される時,χ は複素空間に存在する.定義式2.13 からRe(χ(−ω)) =Re(χ(ω)) とIm(χ(−ω)) = −Im(χ(ω)) である.この複素積分は,実数軸上の任意の値ω0 で,図2.2 の示す線路C に沿った線積分を考えることになり,積分はI =(式)であり,この積分はω = ω0 で特異点となる.留数定理を使用してI = (式)となり,式2.14 中の括弧部分は,コーシーの定理によって(式)となる.ここで,P は積分の主値を意味する.ˆχ(ω) = χ(ω) + iχ”(ω) とするとき,(式)という関係が導かれ,この関係をクラマースクロニッヒの関係式あるいは分散式という.複素誘電率の場合には,(式)という関係になる.このように,実部と虚部の間には明確な関係があり,分散は吸収によって決まっていることを意味している.同様に,反射率から吸収も導ける.
2.4 統計熱力学
現象論的に取り扱ってきた線形応答の観察量は,量子力学などから説明される状態と結びつくのだろうか.それには統計熱力学の考えを適用する.一般化座標q とそれに共役な運動量p を考え,粒子がN 個からなる体系としてΓ 空間を考える.このことから,系の微視的状態はΓ 空間の一点(q, p) で表される.この(q, p) は時間の関数であり,その時間変化は,系の全エネルギーを表すハミルトニアンH(q, p) を用いて,(式)で表されることを意味し,ハミルトニアンの運動方程式という.このことは,体系のマクロな物理量は,原理的にある時刻でのq とp の値を求め,ハミルトニアン方程式に従ってその時間変化を調べることによって決定することができるという考え方である.ところが,粒子数が多いので実際に行うことは不可能である.そこで,巨視的に考えている系と同じ系を考え,統計集団(アンサンブル)として,体系の平均的な観測量という立場をとる.このような平均を統計平均と呼ぶ.A =(式)で定義される.ρ は統計分布関数と呼び,(式)を満足ように決められる.ここで,エルゴード仮説を導入し,統計平均A が時間平均< A >t と一致することを仮定する.このことは,実験で得られる観測量が統計平均と一致することを期待している.
熱力学の第二法則で系の状態変化が可逆か不可逆か,巨視的な性質をS = kB logWとボルツマンの原理である.ここで,S を統計力学的エントロピー,W は取りうる状態数である.さらに議論を進めるとボルツマンの分布則が得られる.ここで,準位i のエネルギーi,準位i を占める分子数をNi として,Ni = N0 exp(−βi)で表される.ここで,β は1/(kBT) である.全ての準位に適用して和をとった(式)N を用いて(式)である.ここで,Z は(式)で与えられる分子分配関数あるいは状態和関数とも呼ばれる.
現実の温度では磁場中で二つのスピン副準位に対応したゼーマン分裂が生じていた場合に熱励起によって磁場平行と反平行に対応するどちらの準位にもスピンが存在する.それぞれの準位にはボルツマン分布に従っていると仮定すると(式)ここで,T は絶対温度である.式2.16 からn+ −n− を求めるとngμBB/(kbT) が得られる.例えば,g が2 で,B = 300 mT,T = 300K では(n+ − n−)/n = 0.0013 と見積もられる.
スピン定量
以上の統計熱力学の考えに基づいている.ここで,マイクロ波吸収が十分小さければキャビティーのQ 値は大きく変化しないので,スピン濃度は(式)といった量に比例する.ここで,Z は分配関数である.EJ,MJ はJ とMJ 状態のゼーマンエネルギーである.
実験的には既知のスピン濃度をもつリファレンスを用意して,その比から求めればよい.このリファレンスには合成ルビー(Al2O3 中のCr3+)が使われる.この信号は,ルビー中でCr はAl の置換位置に入るのでTrigonal のシンメトリをもって,電子スピンは3/2 であるとGeusic によって報告されている[5].
X バンドの分光器では磁場を結晶軸に90◦ で合わせると200 mT と540 mT に吸収が観察される.Chang は,それぞれの積分強度比率を0.802,0.470 と求めて報告している[6].他に硫酸銅(CuSO4·5H2O)も使われる.g 値は2.06,2.27 であり,2.27 は結晶方位に依存する.水分を蒸発させて結晶化させると青色であり,封止して冷蔵庫などで保管する.結晶水を失うと変色する.水和量が正確に求められないので,標準サンプルとしては適さないとの考えもある.
超微細構造
電子の近くに核スピンをもつ原子核が存在すると,核のもつ磁場は電子に働き,外部磁場と異なる位置に共鳴磁場が移動する.核スピンI の向きは2I + 1 個あるので,2I + 1の共鳴条件が満たされることになる.すなわち,hν = gμB(H0 + AmI )ここで,A を超微細結合定数(hyperfine coupling constant)という.
電子スピンと核スピンの相互作用にフェルミ接触相互作用がある.電子が電子雲として存在しているとすると原子核上でも確率ρ(0) をもって存在すると考えられる.原子核が核磁気モーメントをもっているので,距離a での大きさは(式)で表される.これは方向に無関係(等方的*8)である.一方,電子の磁気モーメントと原子核の磁気モーメントが距離r をもって位置すれば,双極子-双極子相互作用が働き,核磁気がつくる電子位置での磁場垂直方向の成分はA =(式)と表せる.これは位置によって変わるので(異方的*9)である.例えば,p 軌道方向に磁場を平行にすればA = (式)となり,磁場に垂直方向はA = (式)となる.このように等方的と異方的な成分をあわせて超微細構造のパラメータは(式)と表される.磁場に対して任意の角度を向いた常磁性中心は(式),M1 は核スピンの量子数であり,(式)といった角度依存性をもつ.
2.5 幾何光学
2.5.1 コヒーレントな場合
既知の誘電率と膜厚をもった均一物質の平行界面をもった図2.3 に示される積層構造の反射率R と透過率T はフレネルの式を用いて次のように計算することができる.ここでは行列(マトリクス)法を用いて[7, 8],(式)と(式)ここで(式)である.各界面での位相膜厚δr = (式)と,光学アドミッタンスはp 偏
光時に(式)で,s 偏光時に(式)である.また,θ は入射角度,ε は複素誘電率,d は層の厚さ,ω は波数である.下付インデクスは図2.3 に示すように0 が大気を表し,r は酸化膜中の層,m は基板を示す.M を特性行列といい,次の4端子回路で説明するものと同義である.
2.5.2 4端子回路
マトリクス法による計算は4端子回路による計算に他ならない.4端子回路とは,ある回路網があって端子が4つ付いているものをいう.2つのものは,2端子回路と呼ぶ.これら回路についてブラックボックスとして扱い,電流と電圧の関係だけを測定して回路の特性を表すインピーダンスを求めることができる.端子間の電圧と電流の間には(式)という関係が成り立つ.このY の行列をアドミッタンス行列という.これらのV1 とV2を刺激,I1 とI2 を応答と考えることができ,それぞれを重ね合わせた線形応答の式となっている.ここで,V1 とI1 について解くと(式)と書くことができ,行列表記により(式)と書け,この行列を4端子行列あるいは特性行列と呼ぶ.この量は,4端子回路を直列に繋いだ時に行列積の形で表すことを可能にする.
光学では,入射する波の振幅をα1 とα2 として,出射する波の振幅をα1 とα2 とすると,これらの間にはという関係が成り立つ.このρij からなる行列をS 行列または散乱行列といい,ρ11 は反射係数,ρ21 は透過係数という.
2.5.3 インコヒーレントな場合
およそ500μm の厚さのシリコン基板の取り扱いは,波数分解能を下げることでファブリー・ペロー干渉を観察できずインコヒーレントに(位相干渉を無視して)取り扱うことができる.そのため,シリコン内部反射はエネルギーの輸送として取り扱い,全反射率Rt は級数和として(式)と表される.ここで,R0,R1,R2,R3,T0,T1,T2,T3 は図2.4 に示す内部反射に関わる1回の反射率と透過率である.
シリコン基板の吸収の取り扱い
シリコン内部の吸収係数A が未知数となる.A は,シリコンのフォノンのみならず,格子間酸素(1100cm−1)の吸収や,不純物添加による自由電子の吸収などが含まれる.そのため,実際の吸収係数を求める必要があり,反射の場合には前述の全反射率の式から吸収係数について解くことで(式)として求めることができる[9]. ここで,シリコン基板の絶対反射率Rs は,反射率が95% 以上である金ミラーの反射率をリファレンスとして求め,シリコンの屈折率は文献値を用いてnSi(ω) = 3.4193 + 0.9 × 10−6ω + 1.2 × 10−9ω2の近似式が使える.
透過測定の場合には,ランバート則[10] から(式)の関係式を用いて実際の基板の内部吸収を求めることが可能である.ここで,ω は波数,d は基板厚さである.
2.6 誘電関数モデル
2.6.1 ドゥールーデモデル
導体では,有効質量m∗ をもつ自由電子の運動方程式は(式)で与えられる.E = E0 exp(iωt) を外部電界として式2.17 をx について解くと(式)を得る.
2.6.2 ガウスモデル
誘電関数モデルは,減衰振動子モデルが基本であり,結晶などで見られるローレンツ型のスペクトルの記述に成功している.j モードからなる物質の誘電関数は(式)で与えられ,ここで各モードのローレンツ振動子ˆX(式)からの寄与の和として表される.ここで,ωo が共鳴振動数,ωp はプラズマ振動数,ωτ は減衰振動数,∞ は高波数側の誘電率である.しかしながら,アモルファス物質であるシリコン酸化膜などの吸収線形はガウス形状であることからも,実験結果をうまく記述できない.例えば,構造の乱雑性により,ローレンツ振動子が分布関数g をもって分布していると仮定する.このことで,各モードはˆX(式)で表される.例えば,この分布関数をg をガウス分布とすることによってアモルファス物質からの実験結果を良く説明できることが知られている[11].この式2.18 の積分は対称ガウス型では誤差関数 erf(y) = (式)を導入して,解析的に解けて(式)と表される[11]. ここで,(式)であり,Ima > 0,erfc(y) = 1 − erf(y)は補誤差関数である.ちなみに,(式)との定義の違いにより,(式)である.数値的にフーリエ変換を使って(式)を用いて解くことも可能である[12]. ここで,h はローレンツ振動子モデルの誘電関数,g は分布関数,F はフーリエ変換,F−1 は逆フーリエ変換である.さらに,実際の吸収ピークではピーク形状が非対称のガウス分布となっているものがある.この非対称性を記述するために,筆者は独自に対称と非対称のガウス分布を取り扱えるようなモデルを開発した.分布幅を低波数側σl と高波数側σh と異なる値をもつガウス分布と仮定して(式)と定義する.ここで,σ = σh+σl2 は平均ガウス分布幅である.この非対称ガウス型では解析的には解いても数値計算的に速くなるならない.そこで,前述のフーリエ変換を使って(式)から数値的に解く方が効率的である.
2.6.3 誘電関数の導出
赤外反射吸収分光法によるスペクトルは,ピーク形状や位置が膜厚に依存するといった光学効果によるスペクトル歪みを生じるため,膜物性を評価する最善の手段は誘電関数の形に変換して評価することである.吸収のみを観測していると考えがちな透過法においても表面反射などの光学効果によるスペクトル歪みは考慮する必要があるため,誘電関数を用いた評価が望ましい.実測の(赤外)スペクトルから誘電関数の導出方法を検討する.誘電関数の導出する方法には
• 偏光解析,
• クラマース・クロニッヒ変換を用いるもの,
• 複数条件の実測スペクトルへの計算スペクトルフィッティング,
• 誘電関数モデルによる分散解析,
がある.偏光解析では,少なくとも偏光子と検光子といった光学素子を挿入する必要があり,極薄膜の測定では信号/ノイズ比の点で不十分である.また,クラマース・クロニッヒ変換では,理想的にはDC(ω = 0) から波数無限大のスペクトルといった,なるべく広い範囲のスペクトルが必要になることと,そのベースラインに結果が左右されるなどの問題がある.
誘電関数導出の方法(2 角度法)
誘電関数は複素関数であるため,パラメータは実部と虚部の少なくとも2つある.そのため導出には二つ以上のスペクトルが必要となる.二つ以上のスペクトルから誘電関数を求める場合,当然ながら同一のサンプルのスペクトルである必要がある.例えば,酸化膜構造の膜表面垂直方向と平行方向で異方性が存在する場合には,p 偏光とs 偏光のスペクトルでは条件が異なるため望ましくない.Si 上のSiO2 薄膜の分析を例にとれば,シリコンに対するブリュースター角(74◦)を挟んで,二つの入射角度のスペクトルを用いる.例えば,70◦ と80◦ の入射角度を選択する場合,TO とLO モードのピークは位相の反転により吸収と反射の関係が反転し,スペクトル形状が大きく変化する.このため,誘電関数導出にとって望ましい.もし,スペク
トルシミュレーション方法を用いて計算スペクトルが計算できれば,誘電率 を未知数として,実測の反射率Rmeas と計算の反射率Rcalc の残差,(式)を最小化するようにして未知数を求められる.このフィッティングを波数域にわたって行うことで実際の酸化膜の誘電関数 を求められる.最小値探索の数値計算上のアルゴリズムが多数紹介されている[13, 14].
誘電関数導出の方法(分散解析)
前述の2 角度法では,ノイズの多いスペクトルから導出する場合や導出した誘電関数を使用して,さらに新たな層の誘電関数を導出する場合などに,誤差が蓄積して大きくなるといった問題がある.そのため,誘電関数モデルを用いたモデルパラメータのフィッティングを用いる分散解析方法が有効である.