第4章 エッチング表面反応のその場解析
4.1 序
4.1.1 本章の構成
フルオロカーボンプラズマによるシリコン酸化膜エッチング表面反応について“その場で”化学結合や不対電子を観察した結果について述べる.
シリコン酸化膜エッチング表面反応では,表面反応がデポジションとエッチングが同時に進行する非常に複雑な化学反応を利用しており,その解明されることが望まれている.これまでにエッチング表面に堆積するフルオロカーボンポリマー(a-C:F)膜について,多くの研究者が着目してきた.しかしながら,エッチング中のa-C:F 膜が観察されたことは,皆無に等しかった.エッチングによって後退する表面の上に堆積する膜の観察は技術的に非常な困難であることは容易に想像されるが,筆者はこのa-C:F 膜の堆積過程を“その場で”観察することが重要と考え,その観察に取り組んできた.
エッチング中の表面を赤外分光法を用いて“その場”観察して,エッチング中に堆積するa-C:F 膜の観察に成功した.さらに,その堆積過程を実時間で解析して,a-C:F 膜の厚さがエッチング中に飽和するメカニズムを明らかにした.
プラズマから入射するイオン,ラジカル,電子,光子などの粒子との相互作用によって,表面膜中や表面近傍の基板内部(サブサーフェース)に形成されるダングリングボンドに筆者は着目した.この分析を行うために真空搬送して試料観察できる電子スピン共鳴法の装置を開発し,表面ダングリングボンドの観察したので,その結果について説明する.
4.1.2 研究方針
高い加工性能を得る条件探索とその安定した制御のためには,フルオロカーボンポリマーの堆積を含めたエッチング表面反応の解明が欠かせない.
これまでに,エッチング表面では
1. エッチング中の表面にはa-C:F 膜が形成され,
2. そのa-C:F 膜はエッチング中に定常的な膜厚をもち,
3. その定常膜厚とエッチング速度は逆相関の関係をもつ
と報告されてきた.これらの知見の多くはエッチング後に分析した結果に基づいており,エッチング反応機構の解明は未だ十分とはいえない.エッチング中に定常的に堆積すると考えられるフルオロカーボンポリマーの表面堆積挙動とその定常堆積の膜厚決定メカニズムの解析が望まれていた.特に,定常的な厚さをもったa-C:F 膜に関して
1. エッチング中に定常膜厚となる遷移過程,
2. 定常膜厚の決定機構,
3. 膜形成がある下でのエッチング反応
に関する微視的な議論は不十分である.エッチング現象は最表面が基板内部方向へ常に後退しているので,エッチング開始から最終的に定常状態となる遷移過程の様相によってエッチング特性が決定されると考えられるからである.XPS の分析ではエッチング最中の表面を分析することはできず,エッチングを一旦終了して試料を真空中で搬送したり,多くの場合は大気中を搬送した後の表面を測定した結果であり,エッチングその場の化学的にa-C:F 膜堆積を観察できることが望まれていた.そのため,エッチング反応の進行過程を“その場時間分解”で観察することに取り組んだ.そこで,本章の目的は,
1. “その場時間分解”の観察手段を確立すること,
2. 定常状態へ移行する遷移過程を解析すること,
3. エッチングの支配的な要因を解明すること,
を挙げ,この研究を進めた.
4.2 エッチング中表面のその場観察
4.2.1 背景~エッチング中のその場観察
これまでにエッチング最中のa-C:F 膜の堆積挙動を“その場時間分解”の観察結果で調べられた報告には以下がある.1992 年に当時IBM のOehrlein のグループからHaverlag らがエリプソメトリ法による結果を報告している[1]. エリプソメトリ法による偏光角の情報からはSiO2 のエッチングとa-C:F 膜の堆積の判別は明白ではない.なぜならば,偏光角はエッチングや堆積以外にも基板温度変化や基板損傷層の存在によっても変わるからである.表面にa-C:F層が堆積すること以外にも酸化膜基板側にイオン照射によって形成されるダメージ層が形成されたり,プラズマに曝されることで基板温度が変化して基板の光学定数が変更するといった不確定要素が含まれていた.その後,1997 年にMarra とAydil は赤外全反射吸収分光(IR-ATR)法をもちいて,フルオロカーボンプラズマエッチング中に表面に堆積するa-C:F 膜の観察結果を報告した[2]. 赤外分光で観察されるCF 結合のピークはシリコン酸化膜のSiO 結合とは分離して観察可能なことを示した.しかしながら,それらの信号はオーバーラップしている.そのオーバーラップの影響については解析しておらず,また測定の時間分解能も15 秒が最高であった.
そのため,a-C:F 膜の堆積とSiO2 のエッチングが分離して観察可能となるIR-ATR 法を観察手段のベースとして高感度化の手法を探りつつ,時間分解能の向上を目指す必要があった.そのために,筆者は
1. 通常よりも反射回数を増やしたATR法で高感度し,
2. CF とSiO の光学応答を解析して薄いSiO 膜をもつ試料構造を採用し,
3. ATRプリズム温度と全反射条件での減衰を低減し,
4. ATRプリズムにGe 材料をもちいる
などのアイディアで,この観察に成功した.ここでは,得られた結果について説明する.
4.2.2 実験
実験装置の概略を図4.1 に示す.ガス導入装置と真空排気装置を設け,アルゴン(Ar)とフルオロカーボン(c-C4F8 octafluoro cycrobutane),酸素(O2)ガスがマスフローコントローラーで流量制御して導入でき,処理圧力は手動コンダクタンス・バルブにより調整可能である.対向する平行平板電極を上下に有しており,100mm 口径のウェハが設置可能である.電極間隔は80mm である.上下各電極は絶縁されており,電力が独立に供給可能であり,冷媒循環による温度制御が可能である.電極温度は12◦C に設定している.本報告における実験では,基板設置側の電極に高周波(13.56MHz)電力を供給して対向電極は接地している.基板電極の自己バイアス電圧(Vdc)は高電圧プローブ(Tektronix 製6015A)をもちいてデジタルストレージオシロスコープ(HP 製HP54540C)で電圧波形をモニタし,平均値を計算して求めた.本報告で示す結果は供給パワーを制御して,自己バイアス電圧が- 650 ± 50 Vの範囲に固定した.
電極に設置した試料の表面を赤外全反射吸収分光(IR-ATR)法で観察できるようになっている.フーリエ変換型赤外分光(FT-IR)装置(Nicolet 製Magna 860)内の干渉計を経て外部ポートから出射した赤外光を軸外し放物面鏡(焦点距離約250 mm)により集光し,チャンバー窓(BaF2)を透過させてプリズム形状のウェハ端部に入射する.プリズム内部を全反射によって透過した後,反対側の端部から出射した赤外光をレンズ(BaF2)によって高感度赤外検出器(MCT)に集光させている.プリズムの入出射角度は全反射条件を満たす45◦ としている.IR-ATR で検出する信号強度は反射回数に比例して増大する.
試料作成
これまでの報告でも感度が不十分と考えられたので,通常もちいられるATRプリズム(52×20×2 mm)よりも反射回数が多くなる長さ(約100mm)と厚さ(0.5mm)を採用した.(アイディア1)このプリズムの場合,表面側での全反射回数は約100 回程度と見積もられるので,これまでの報告よりも2 倍程度感度が高い.実際に使用したATRプリズムは口径100mm,厚さ0.5mm である.全反射の際の乱反射防止などのために両面を鏡面研磨を施している.両面を鏡面研磨した不純物添加のないゲルマニウムのウェハ(東京電子冶金製,抵抗率40 Ω cm)の端部に45 度傾斜させた入射面と出射面を研磨して作製したものである.本来,シリコンのウェハをもちいたいが,シリコンの格子振動による自己吸収により1400cm−1 以下が観察不可能となる.そのためCF やSiO 結合の吸収を観察する必要から,これらの吸収位置である1200cm−1 領域が透過性をもつプリズム基板を使用する必要がある.これらの要求を満たす材料で比較的手に入りやすい材料にGeやGaAs がある.ここでは,ゲルマニウムを使用している.(アイディア2)前述通り,Ge もしくはGaAs の口径100mm の単結晶基板をプリズム加工して使用した.また,赤外光は電場を基板平行方向に(s)偏光している.基板垂直方向に(p)偏光した赤外光では酸化膜の縦光学(LO)モードが検出され,a-C:F 膜の吸収と重なってしまう.ウェハの温度上昇はプリズムの透過特性を変えてしまうため,プリズムは電極に電導性アルミニウム接着テープで貼り付けている.その際,赤外分光観察の光路となるウェハ裏面部分にはテープを貼り付けず,全反射条件時の光学損失をなるべく低減しないようにしている.(アイディア3)プリズム表面には,Si あるいはSiO2 をスパッタ法により堆積した.堆積膜厚は重要な要素であり,許す限り薄く高純度な薄膜であることが望ましい.堆積した薄膜の吸収による観察波数領域の制限があるからである.今回成膜上の問題から100nm 程度の膜厚のスパッタSi を用いたが,2000cm−1 の領域などはSi-H 結合による吸収で観察ができない.
また,シリコン酸化膜の吸収係数が非常に大きく,10nm 以上の厚さでは吸収が飽和してしまうから,10nm 程度以下の酸化膜を用意する必要があった.(アイディア4)この目的で,前記スパッタSi 膜を酸化性プラズマに曝して,シリコン酸化膜を用意した.シリコン酸化膜に関する実験結果は,この方法で作成したプラズマ形成酸化膜を用いている.測定手順は,まず電極表面にウェハを設置した状態でレファレンススペクトル(バックグラウンド)を計測する.次に,エッチング中のスペクトルを最小0.5 秒間隔で取得した.バックグラウンドを参照することで,エッチング中の表面変化のスペクトルを得た.本報告では,このスペクトルをエッチング中に取得したスペクトルとして吸光度で表示する.波数分解能は8cm−1 とし,0.5 秒間隔の測定で5 回積算してスペクトルを計測している.本測定において気相中のガスやチャンバー窓の付着物の吸収は,表面変化に比べて小さいので無視できた.当然のことながら高い圧力や窓の配置などによっては,この限りではない.被測定試料表面での全反射回数が100 回なのに比べ,窓の付着物では2 回の透過に過ぎないことや処理圧力が低くガスの吸収は小さいこと,バックグラウンドとの差分を得た時間間隔が短いことなどが理由として上げられる.
4.2.3 結果~その場観察
Ar 希釈したc-C4F8 ガスをRF 電力を下げて放電し,基板バイアスの低い条件として表面にa-C:F 膜を堆積した過程の観察結果を図4.2 に示す.1220cm−1 と1710cm−1 にa-C:F 膜に由来するピークが放電時間の進行とともに増加したことがわかる.
図4.2 a-C:F 膜の堆積過程のその場IRATR 観察結果
次に,この表面堆積したa-C:F 膜を酸化性プラズマで除去した過程の観察結果からa-C:F 膜に由来するピークは減少し,1200cm−1 以下にシリコンの酸化進行によるSiO 結合に由来するピークの増加が見られた.一方,Ar のみの放電でa-C:F 膜をスパッタ的に除去した場合には,酸化膜に由来するピークは検出されなかった.Ar 希釈したc-C4F8 ガスの(20% c- c-C4F8,全流量100sccm,3Pa)条件でRF 電力を上げて放電することで基板バイアスが高い条件でもってシリコン酸化膜をエッチングした.このエッチング中のIRATR による観察結果を図4.3 に示す.1200cm−1 のピーク減少から酸化膜のエッチングが示しており,1220cm−1 のピーク増大はa-C:F 膜の堆積を示している.これらが同時に生じているため,各ピークがオーバーラップしたように観察されている.このスペクトルから両者のピークを分離して,各ピークごとの時間変化については解析が必要である.このとき,測定の時間分解能は1スペクトル取得時間に依存して2 秒以下であった.(装置的な最高時間分解能は,100ms 程度である.)
図4.3 フルオロカーボンプラズマによるシリコン酸化膜のエッチング過程の表面のその場IRATR 観察結果
4.2.4 解析
一般的に赤外分光では得られたピーク強度はLambert-Beer 則に従い,膜厚に比例する[3]. しかしながら,IR-ATR 法では表面での全反射条件における減衰量を観測するため,表面電場の法線方向の染みだしが波長に依存するなどの影響を補正しなければならない.膜厚が十分薄ければ膜厚に比例した吸収強度が得られるが,膜厚が厚くなると飽和が見られる.この影響を見積もるためにスペクトルシミュレーションを行い,飽和しない膜厚範囲やピーク強度から膜厚への換算係数を見積もった.
スペクトルシミュレーションは図4.4(b) に示すような薄膜の積層構造を仮定して,一般的な光学計算により行った[4].この計算でのパラメータは各層の膜厚と誘電関数(屈折率)である.シリコンやシリコン酸化膜など材料についての誘電関数は報告されてものをもちいた[5, 6]. しかしながら,a-C:F 膜は報告されていないので,はじめに誘電関数の導出を行った.
ATR法でのピーク強度I は,図4.4(a) に示す反射率r と透過率t の多重反射の形で
(式)
で与えられる.吸光度A の定義から
(式)
が求められる.第一項はプリズムの内部吸収と裏面反射で決まるので,第二項と第三項が内部多重反射回数に依存する.プリズムの表面での1回あたりの減衰率(全反射条件からの内部反射率の減少分)と,プリズムの幾何学形状から求まる内部反射回数(n)に比例して増大する.表面減衰率が小さい条件であれば,n に比例する.
このATRピーク強度の内部反射回数依存性を図4.5 に示す.点線は一次近似結果を示す.このことから,従来のプリズム(n≤50 回)に対して,本報告(n=100 回)では2倍程度の感度に向上があることがわかる.これはアイディア1を裏づけている.
図4.5 内部反射回数による吸光度の増加傾向
ATR プリズムを用いて実験条件と同じになるような積層構造での光学系でシミュレーションを行った.Ge 基板上にa-Si を堆積した上にSiO2 膜が形成されていることを仮定してSiO2 に由来するピークの1200cm−1 位置でのピーク強度のSiO2 膜厚と内部反射回数の依存性の計算結果を図4.6 に示す.測定のダイナミックレンジと検出器の飽和特性などを考えると,ピーク強度は吸光度で2 以下であることが望ましい.この条件を満たすSiO2 膜厚は内部反射回数が50 回では10nm 程度,100 回では5nm であることがわかる.ちなみにa-C:F 膜の吸収係数はSiO2 の十分の一程度であるので,逆に内部反射回数を上げなければ感度が足りない.したがって,a-C:F 膜を感度よく観察する犠牲としてSiO2の膜厚は薄くしなければならなかった.このようなa-C:F 膜とSiO2 膜の同時観察での光学系最適化に関する問題は本質的であり,厚いSiO2 膜上の薄いa-C:F 膜を同時に観察するためには,さらなる高感度で直線性のよい検出器の使用などといった測定系のダイナミックレンジを上げていき,この問題を克服していく必要がある.
図4.6 SiO2 ピーク強度の膜厚依存による飽和傾向
次に,Ge 基板上にa-Si を堆積した上にa-C:F 膜が形成されていることを仮定してシミュレーションした結果の赤外スペクトルを図4.7 に示す.a-C:F 膜に由来するピークの1220cm−1 位置でのピーク強度のa-C:F 膜厚依存性を計算した結果である.ピーク強度は膜厚に比例して増加する.この結果から,吸光度から膜厚への換算係数を見積もることができる.ここでは,SiO2 膜とa-C:F 膜の換算係数は,それぞれ0.00250 /nm と0.00025 /nm となる.このことからもSiO2 の吸収強度に比べa-C:F に由来するピークが検出されにくいことがわかる.これは,アイディア4の薄い酸化膜をもった試料構造の必要性を説明する.
図4.7 a-C:F 膜堆積結果の本測定条件での計算スペクトル
十分薄いSiO2 がエッチングされる間にその表面にa-C:F 膜が形成される場合の計算結果を図4.8 に示す.積層モデルはGe 基板上にa-Si を堆積した上にSiO2 膜が形成されており,そのSiO2 膜厚が4 から0 nmに変化する過程で常にa-C:F 膜が2 nm堆積しているとして計算した.10 nm 以下の厚さのSiO2 の場合には,そのエッチング過程にも表面に堆積するa-C:F 膜が観察できることが裏付けられた.また,エッチング中のSiO2 上のa-C:F 膜の強度が大きく変化しないことから,a-C:F 膜がSiO2 上ではなく膜中に形成されていても,実験結果からは判別できないことがわかる.
スペクトルのピーク分離
観察結果のスペクトルはピークのオーバーラップにより複雑な形状となる.つまり,1200cm−1 以下に見られる酸化膜に由来するピークと,1220cm−1 を中心とするa-C:F 膜に由来するピークが逆向きで重なっているからである.そのため,両者のピークを波形分離しない限り,各ピーク強度がわからない.この時,投入電力を高くしていくと電極の冷却が十分間に合わなくなることがある.その結果,ウェハ温度が上昇する.この温度上昇によりプリズムの透過率が低下して,最悪の場合には完全に透過率が失われて観測が不可能になる.この原因は主にプリズム材料の伝導キャリアの発生や格子振動である.実際に使用したプリズムの透過率の温度依存性を図4.9 に示す.これらスペクトルは,ステージ設定温度20◦C で得られたスペクトルからの変化を示しており,温度上昇により1700cm−1 以下の領域でプリズムの透過率が著しく低下してしまい,約80◦C 以上で測定が困難となる.ウェハの温度上昇が見られる場合には,プリズムの透過率変化も考慮してピーク波形分離する必要がある.このことからアイディア3の基板冷却の必要性がわかる.
図4.9 基板温度変化によるベースラインシフト
観察結果からスペクトル分離した結果の典型例を図4.10 に示す.図に示されるように,1200cm−1 以下に見られる酸化膜に由来するピークが下向きに,1220cm−1 のa-C:F 膜に由来するピークが上向きにオーバーラップしている.この両者のピークを分離できれば,各々のピーク強度がわかり,各時刻のスペクトルについて全て調べることで時間変化のプロファイルを得ることができる.はじめにピーク分離するためのリファレンス・スペクトルが必要があった.使用したリファレンス・スペクトルは,エッチング前に測定した酸化膜のものと,エッチング処理後にスパッタ除去した後に測定して得られたa-C:F 膜のものを用いた.条件や時間経過に伴うピーク形状の変化も考えられるが,単純化のために今回は無視した.実際,a-C:F 膜のピーク形状が変化することが考えられるが,観察結果には別の吸収位置に移動するなどの大きな変化は見られていないために無視することにした.このようにしてピーク分離したスペクトルを図4.10 に示す.一方で,かなりS/N 比の悪いスペクトルであっても酸化膜とa-C:F 膜に由来するピークの分離測定が可能になった.
図4.10 スペクトル分離の典型的な結果
時間分解能をあげているために,ピーク形状の細かい変化を調べるにはS/N 比が不十分と考えられる.そのため,ピーク形状の変化については調べていない.このピーク分離を取得した全てのスペクトルで行い,各取得時間におけるピーク強度をプロットして,ピーク強度の時間変化(時間分解プロファイル)を得る.このピーク分離により得られた酸化膜とa-C:F 膜のそれぞれのピーク強度の時間変化を図4.11 に示す.a-C:F 膜の増加とSiO2 の減少が明解に観察可能となった.
図4.11 SiO とCF のエッチング開始からの時間変化
赤外ピークの時間変化~a-C:F 膜形成モデル
エッチング中の表面にa-C:F 膜が堆積し定常膜厚に達する機構は,a-C:F 膜の堆積速度とa-C:F 膜の除去速度のバランスの結果と考える.a-C:F 膜の除去速度には,エネルギーをもったイオンの入射によるスパッタリング的な除去を仮定する.このモデルではa-C:F膜厚(TCF) の時間変化は
(式)
で与えられる.ここで,R は速度定数(nm/min),dep,spu は堆積,スパッタリングを表す.少なくとも膜のカバレッジがゼロの場合には,そのスパッタリング速度はゼロでなければならない.一方,十分厚い膜ではバルクのスパッタリング速度として一定である.したがって,極めて薄い膜のスパッタリングは,その膜のカバレッジに応じて,そのスパッタリング速度が低下していると仮定した.すなわち,膜厚(カバレッジ)に応じてスパッタリング速度がゼロから十分厚い膜(バルク)のスパッタリング速度に徐々に変化すると仮定した.このことは,スパッタリング現象が入射イオンによる固体原子の弾き飛ばしである入射イオンの投影飛程関数f(z) で表される進入深さに依存するはずである.したがって,投影飛程よりも薄い膜の場合には,投影飛程分布関数をその厚さまで積分して得られるイオン数がスパッタリングに関与すると考えられる.ここでは,入射イオンの投影飛程分布関数f(z) がガウス形状で近似されることを仮定した.その結果,スパッタリング速度Rspu は
(式)
で与えられる.ここで,Rbulkspu はバルクのスパッタリング速度で,L はバルクスパッタリング速度へ移行する厚さを表す.式4.1 と式4.2 の微分方程式を数値的に解くことによってa-C:F 膜厚さの時間変化が求められる.入射イオンの投影飛程は弾性衝突モデルによりSi 基板にAr+ イオン(m/e=40)が1kV で入射した場合に数nm 程度であることが知られている.
スパッタリング速度の検討を行うためにa-C:F 膜のスパッタリング過程を観察した.Ge プリズムにa-Si 膜を堆積させて,その上にa-C:F 膜を3 nm程度堆積し,純Ar プラズマ(全100sccm, 3Pa)によりスパッタリングした.そのスパッタリング過程のIR-ATR観察結果から得られたCF 結合ピークの時間分解プロファイルを図4.12 に示す.この時の自己バイアス電圧は- 670 Vである.放電開始直後からa-C:F 膜がスパッタリング除去されていき,a-C:F 膜厚が1nm 程度になるとスパッタリング速度が低下して,最終的にa-C:F 膜厚がゼロになる.このプロファイルを式4.1 と式4.2 に基づいて解析した.純Ar プラズマであるため堆積速度はゼロとし,初期a-C:F 膜厚3 nmを初期条件とした.その結果,バルクスパッタリング速度定数R(bulk)spu は60 ± 5 nm/min と,バルクスパッタリング速度への移行膜厚(L)は3.5 ± 1 nmが得られた.
図4.12 a-C:F 膜のAr プラズマスパッタリング過程の観察
バルクスパッタリング速度は自己バイアス電圧の増大にともない増速する.これは,スパッタリング速度定数を決める要因である入射イオンのフラックスと入射イオンのエネルギーの二つが増加するためと考えられる.ここでは,電力を印加する(アノード)電極に基板が設置されているため,投入電力の増加は同時にプラズマ密度が増加してイオンフラックス増加し,また自己バイアス電圧の増加はイオンエネルギーの増大を意味するので,スパッタリング速度の増速はイオンエネルギーとイオンフラックスの両者の増大により生じたと考えられる.
堆積速度の検討を行うためにベアシリコン面上にa-C:F 膜が形成される過程を観察した.Ge プリズムにa-Si 膜を堆積した後に,Ar 希釈20% c-C4F8 ガス(全100 sccm,3 Pa)を放電してプラズマを生成して,表面にa-C:F 膜を堆積した.その堆積過程のIR-ATR 観察結果から得られたCF 結合ピークの時間分解プロファイルを図4.13 に示す.この時の自己バイアス電圧は- 635 Vである.放電開始直後にa-C:F 膜が堆積していき,a-C:F 膜厚が3 nm程度になり一定となる.これは,a-C:F 膜が極めて薄い間はスパッタリング速度がa-C:F 膜のカバレッジに依存して堆積の方が優勢となっているためと考えられる.堆積が進み,移行膜厚に比べて厚くなると,最終的にバルクスパッタリング速度で一定となり,堆積速度とのバランスで定常状態に達すると考えられる.そのとき,表面には定常的な厚さをもってa-C:F 膜が形成されている.時間分解プロファイルを式4.1と式4.2 に基づいて解析した結果,堆積速度Rdep は45 ± 5 nm/min と得られた.このとき,バルクスパッタリング速度はR(bulk)spu は60 ± 5 nm/min,移行膜厚(L)は3.5 ± 1nm と,純Ar プラズマのスパッタリングと同じとした.スパッタリング速度は入射イオンフラックスとそのエネルギーに依存すると考えられる.Ar 希釈率が高いためにプラズマ密度の大きな変化がなく,またイオンは自己バイアスで加速されて入射すると考えられるので同じ値を使用した.実際にSiO2 エッチング中のSiO2 表面に堆積するa-C:F 膜の形成過程を調べた.Geプリズムにa-Si 膜を堆積した後で,O2 ガス(全100 sccm, 3Pa)のプラズマでa-Si 膜を酸化した.その後で,Ar 希釈20% c-C4F8 ガス(全100 sccm, 3Pa)のプラズマを生成して,酸化膜をエッチングした.そのエッチング過程の赤外スペクトルを図4.14,図4.15 に示す.図4.15 の結果は自己バイアス電圧は- 630 Vの時に得られている.各スペクトルは上から1 秒間隔で計測した.1050 cm−1 の下向きのピークがSiO 結合に由来しており,酸化膜のエッチングにより減少していくことを示している.また,1220cm−1 を中心とする上向きピークの裾が1250 cm−1 以上に見られ,これはCF 結合に由来しておりa-C:F 膜の堆積を示している.この結果から得られるCF 結合とSiO 結合のピーク強度の時間分解プロファイルを図4.16 に示す.上にCF 結合ピークの変化を示しており,下にSiO 結合の変化を示している.放電開始からSiO 結合ピークは単調に減少する.5 秒経った後にSiO2 のエッチングは終了し,シリコン面が露出して,その変化が停止する.一方CF 結合ピークは放電開始から増加した後に一定となり,その後シリコン面が露出して,その強度が増加して再び一定となる.
図4.13 Si 面上のa-C:F 膜堆積過程の観察結果
図4.14 バイアスが–200V の時のSiO2 エッチング中の表面観察結果
図4.15 バイアスが–630V の時のSiO2 エッチング中の表面観察結果
SiO ピークの減少速度から酸化膜のエッチング速度は24 ± 5 nm/min と求められる.この時,表面に堆積するa-C:F 膜は0.5 nm 程度である.その後,シリコン面の露出で表面に堆積するa-C:F 膜は3 nm程度に増加する.a-C:F 膜の形成過程を前述のAr スパッタリングで求めたバルクスパッタリング速度と移行膜厚をもちいて解析した.つまり,バルクスパッタリング速度はR(bulk)spu は60 ± 5nm/min,移行膜厚(L)は3.5 ± 1 nmと,純Ar プラズマのスパッタリングと同じとした.この解析結果から,エッチングされるSiO2 面上でのa-C:F 膜の正味堆積速度定数はR(net)dep は9 ± 5 nm/min と得られた.同条件のシリコン面上での堆積速度は45 ± 5nm/min と見積もられているので,SiO2 面上での堆積速度は1/5 程度の値となっている.この堆積速度の減少はSiO2 のエッチングによって放出される酸素によってa-C:F 膜がエッチングされるためと考えられる.その結果,正味の堆積速度を減少させたと考えられ,SiO2 上で得られた正味堆積速度にはa-C:F 膜のエッチング速度定数が含まれている.したがって,シリコン面上の堆積速度からSiO2 膜上の正味堆積速度定数を差し引くことでa-C:F 膜のエッチング速度定数Retch が得られ, Retch は35 ± 5 nm/min と見積もられた.このとき酸化膜のエッチング速度が24 ± 5 nm/min なので,酸化膜エッチングによる放出される酸素によるa-C:F 膜エッチング効果はかなり大きい.このようにSiO2膜エッチング中のa-C:F 膜の堆積は抑制される結果,定常膜厚への到達時間はシリコン面上では20 秒近く掛かったのに対し,半分以下となる.すなわち,堆積速度一定ならば,a-C:F 膜堆積の抑制効果(減少速度)が高いほど,定常値には早く達し,膜厚は薄くなる.さらに,モデルからは堆積速度と減少速度が最終的にバランスした結果,堆積速度が過剰な場合には連続堆積となることが予想される.これら定常値とそれに到達する時間に関しては,バルクスパッタリング速度への移行関数に依存している.実際には入射イオンと基板原子,付着粒子の混在層が形成され,その最表面からスパッタリングが発生するため,複雑な関数型であることも予想される.この点に関する議論は不十分であり,今後詳細な検討が必要と思われる.
図4.16 SiO2 エッチング中の表面観察のスペクトル分離によるCF とSiO ピークの時間変化
これまでの実験装置で得られた結果から通常のエッチング装置でのa-C:F 膜形成過程について考察を行う.2周波平行平板エッチング装置(TEL 製IEM)で,プラズマを励起して(c-C4F8/Ar/O2, 11/400/8sccm, 4Pa, 27MHz, 2000W)基板にバイアスを印加せずにa-C:F 膜を堆積した後に,通常エッチング条件(基板バイアス電圧1450 Vpp)に移行してa-C:F 膜をエッチングした.この時,a-C:F 膜のバルクスパッタリング速度は320nm/min 程度である.この値は,本実験装置で得られた60nm/min の5倍近い値である.この値は,イオンフラックスが高く,イオン入射のエネルギーも2倍近いことを考えれば妥当である.上述のa-C:F 膜形成モデルに従えば,スパッタリング速度の増加は定常値への移行時間を短くすることが予想される.そのため,通常のエッチング装置においては数秒以内でa-C:F 膜は定常的な膜厚に到達していると考えられる.これは,はじめにプラズマ励起が行われ,数秒の間表面にa-C:F 膜が堆積した後に基板バイアスが印加されたとしても,a-C:F 膜の除去速度が早いために定常値には数秒で達してエッチングが進行することを示し,現実のエッチングプロセスで遷移過程が十分短いことを裏付けた.このことは,エッチング状態のシミュレーションにおいて定常状態の解析だけで,ある程度の成功を収めていることの根拠ともなろう.しかしながら,堆積と除去のバランスが不安定な条件範囲ではa-C:F 膜の形成の定常状態も不安定となることが予想され,その点に関する検討が今後必要である.
4.2.5 まとめ
平行平板エッチング装置を用いたシリコン酸化膜エッチングの“その場時間分解”観察を赤外分光法で行った.エッチング中のCF 結合ピークの時間分解プロファイルの観察から,エッチング開始直後からa-C:F 膜が堆積し,その後定常的な膜厚に到達することが示された.定常膜厚となる要因は,数nm といったイオン飛程よりも薄いa-C:F 膜でのイオンによる除去速度がカバレッジ(膜厚)に依存するためと考えられた.また,この効果をモデル化して定常膜厚への遷移状態を解析することで,a-C:F 膜の堆積と除去の速度定数を見積もることに成功した.